ぼだちゃんの生い立ち

 

1997年8月9日蛍の墓金曜ロードショーで上映されていたときに生まれたらしい。

 

これといって中学時代までは普通の女の子で生活していた(母子家庭)

まあ母子家庭なので、母親は19歳で私を産み、今の今まで水商売をやっている。ある意味ママである。

 

元々鍵っ子だったため、一人で居ることが多く友達ともあまり遊ぶような子ではなかった

小学時代の子が一人いるくらい、親友は数えて2人。

類は友を呼ぶではないが、この二人もなかなか癖の強い子である。

一人のA子ちゃんは、お母さんがカルト集団であり未だに母親に宗教を勧めてくる。その子は今ホームレスみたいな格好が流行っているのか、それに流されホームレスみたいな格好してGUCCIの前で写真などを撮りInstagramであげている。

私にはそのファッションを理解するにはあと何年か掛かりそう。

もう一人のB子ちゃんは高校時代の同級生である。

馴れ初めは忘れたがお互いとち狂った性格なので

何も気を遣わず遊ぶ子、

強いて言うならお互いの本音を唯一話せる友人である。

例え話で、

お互い内緒で如何わしいバイトを隠して働いて暴露したと思えばお互い如何わしいバイトをしていたり

私が決めているがメンヘラである。

 

この二人の友人で人間関係は簡潔しており恋人で

3人これで私の人生の軸になっている。

 

 

中学時代はカースト上位のソフトテニス部に入り

マウントを取っていた。

ここで、一つの問題が発生する。

"私がヲタクである“

この時点でソフトテニス部の中でのカーストは最下位

終いには、テニスがあまり上手ではない。

この時点で私の人生に対する価値観が変わってしまった

ヲタク=気持ち悪い

これを隠し通さねばならないのである。

結果的には、

ニコニコ動画に踊ってみたを投稿して

学年で流出しキモヲタ分類に降格した。

この時点でカーストは最下位

唯一顔がそこまで酷いブスではなかった為

中学時代は恋人など青春を謳歌した。

 

ここからが本題になるのだが

高校に入学してから友達作りが出来なかったのである。

ここで一回詰みました

大体あんまり仲良くない子とお昼ご飯を食べ

休み時間にはトイレに籠りスクフェスなど、

自分の趣味に全力を費やしていた。

もちろんカーストは最下位

何とか1年を乗り越え2年生から進学クラスに編入した

(そこでB子と知り合う)

2年生の時は1年生に比べとても充実した

スクールライフを送っていた、その時である。

 

今の原点である、精神疾患という壁にぶち当たる。

この時点で高校2年夏

どうしたものか

この時の症状は鬱である。

原因不明朝起きられなくなったのである。

 

そのあとの話はまた今度しようと思います。